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2014年 12月 24日

末摘花さんの 水仙を

末摘花さんのラッパスイセン
まず 花壇に水仙を植えました。
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「水耕栽培風」にという ネーミングに ・・・
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by pc5takahashi | 2014-12-24 23:58 | Comments(0)
2013年 05月 08日

タグ・ 「城南野草サークル」逢う機会もなく 寂しいですね

?
¨
数年前の 写真です。
私たちは かって 城南野草サークルの会員でした。
©女性のみ 5,60名在籍していました。(引率者? 指導者?高齢化という事により
2006年3月 解散)

 §その後も 元の会員とは たまに会い 楽しんでいます。 

 ª写真掲載 当時 二人の高橋さんに 快諾を得てあります。 
ここにUPするつもりはなく disk topに コピーしたつもりが・・・。

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テスト

(そのまま張り付け)

すべて記事入力欄に タグを直接入力しました。
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by pc5takahashi | 2013-05-08 08:51 | Comments(6)
2013年 01月 21日

スキン変更したら 大きくしたコメント欄も元に戻り小さくなった・・

スキン変更したら 広げたコメント欄も 以前のように狭いコメント欄に戻りました。


(説明です。)
 ややこしいですね!習った広いコメント欄に 又するのに一苦労、「パソコン相談室」さんの手引きによりやり直し 何回もtryしましたが 
巡回に出る3時にも間に合わず(今 補導員仲間で国鉄駅周辺を巡回して 夕方5時半に帰宅して) またパソコンと向き合っています。
出来ました。!!
手順⑨でチェックもつけずに、保存をかけていました。そんなことを繰り返していたので うまくいくはずがなかったですね。

よかったです。成功して
チェック入れず ・・・ あわて者ですね!

056.gifコメント欄直せてよかったです。056.gif
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by pc5takahashi | 2013-01-21 18:02 | Comments(2)
2013年 01月 18日

オーストラリア ビーチに

巨大な赤い壁 1月10日TVより
オーストラリアの西部のビーチで、9日 巨大な壁のような砂嵐が出現した。
自然現象で しかもスケールが大きい・・
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付近の人・・・「突然暗くなり 辺り一面が真っ赤になった。強い風が顔に叩きつけるから外に出れなかった。」「海水の水位が上昇した。海が荒れて水位がいつも以上にあがった。」
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何故突如ビーチに!?
巨大な赤い壁が
穏やかで青空だったのに突然空が赤黒くなった。
とても強い風が10分ほど吹いてその後雨が降った。
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何故赤い砂嵐が発生したのか?
赤い土が その強い風に巻き上げられて、砂嵐が発生している。
砂嵐は1時間で過ぎ去る。

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気象予報士 武田 恭明さんは
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真っ白なシドニーのオペラハウスも このように
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初めて見聞きしたことですが、吸い込むと呼吸器系に悪影

興味あるので 
他のサイトでも調べました。
http://commonpost.info/?p=59005
オーストラリア西部のビーチで9日、海水浴客の前にオレンジ色の巨大な壁のような砂嵐が出現しました。また、同じ日に沖合で撮影された別の砂嵐には、上の方に雲がのっており、まるで「赤い波」のように見えます。
この「赤い波」の正体は、乾燥地域で発生する強い砂嵐「バブーブ」。オーストラリア西部の沖合ではこの日、熱帯サイクロンが発生していたといい、地上の砂や海の水分が吸い上げられ、このような現象が起きたのではないかとの見方が出ています。
ハブーブの砂嵐は、下降気流、特にダウンバーストなどの突風で発生します。風が地面に到達すると、砂漠の乾燥した表土や砂を巻き上げて風にのせ、まるで巨大な「壁」のような外観をした、褐色の雲ができます。
砂の壁は、最大で幅100kmにも達し、高さも数kmに達します。ハブーブの移動速度は時速35~50kmくらいで、備える暇もなく襲来してしまう場合があります。雨雲を伴うハブーブでは、上空で雨が降っているにもかかわらず、暖かく乾燥した空気によって上空で蒸発してしまう場合が多いとされています(外からは尾流雲として観測されます)。また、大量の砂塵が舞っている場合は、砂塵が水分を含んで降り注ぐ”mud storms”(泥の嵐)となることもあります。
ハブーブの際は、主に屋外では呼吸器や目が影響を受けるので対策をとる必要があり、ひどい場合にはシェルターなどに避難した方がよいとされています。

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by pc5takahashi | 2013-01-18 15:16 | Comments(2)
2013年 01月 16日

「ブロ友パソコン相談室」さんで 長い間の念願 コメント欄を広げる

「ブロ友パソコン相談室」さんに載っておりましたのを 実行しました。15日 夜間 続けて3回目でやっと 広げることができました。とてもうれしいです。ありがとうございました。

コメント欄を広げたい方おられると思います。
exblogの方のみです、ぜひお試しください。
このページから学びました。http://sukettopc.exblog.jp(リンク張る事忘れてしまい出来ません) ここ数年この方法をとっております。
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by pc5takahashi | 2013-01-16 01:07 | Comments(36)
2012年 10月 21日

オーストラリア② カウラ事件の事 ー 第二次世界大戦中

私は遺族ではありませんが
 この事件を書き記しておきたいと思います。

カウラでの 日本人捕虜の待遇は収容所係官と 休憩時間には キャッチボールをするなど  暖かい待遇を受けていたそうですが 何故脱走事件が起きたのか?  それは・・・
以下は説明はWikipediaと この地図はhttp://web3.incl.ne.jp/matsuura/nsw_cowra01.htmlのページからお借りします。
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これは地図を写す
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カウラの慰霊祭も 2014年には 70周年になるという
カウラ事件とはウイキペディアより引用させていただきました。
カウラ事件(カウラじけん)は、第二次世界大戦時の1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件。
捕虜収容所の脱走事件としては、史上最多の人数(日本人収容者数1,104名の内、545名以上)と見られる。死者数235名(オーストラリア人4名、日本人231名)、日本人負傷者数108名。[1]

収容所があった場所
位置:ニューサウスウェールズ州の州都シドニーから西250kmに位置する町、カウラの中心部から北東へ3.2kmの郊外地域
収容捕虜:枢軸国捕虜(イタリア人、日本軍に従事していた朝鮮人と日本人)・被拘束市民(オランダ領東インド政府により拘束されていたインドネシア人)約4,000名が収容されていた。1944年8月時点、オーストラリア国内の捕虜数は、2,223名の日本人捕虜(544名の海運業者を含む)、イタリア人捕虜(北アフリカ戦線より)14,720名、ドイツ人1,585名(海軍、海運業者)この内、1,104名の日本人がカウラ収容所にいた。[2]

各国の収容所の位置が書かれていました。
敷地 [編集]収容所の敷地は12角形(直径約600m)をとっており、90度角で4ブロックに分かれていた。
Aブロック(北西):イタリア人
Bブロック(北東):日本人(北部域にオーストラリア軍の敷地があった)
Cブロック(南東):イタリア人
Dブロック(南西):日本人将校、台湾人、朝鮮人

警備 [編集]1943年2月、ニュージーランドのフェザーストン捕虜収容所(日本人の捕虜収容所)で日本人捕虜が暴動を起こしたため、カウラ収容所も警備の強化が行われる。

この際に、年配の退役軍人や、前線配置には健康ではないと評された若者などで構成される、第22守備隊(22nd Garrison Battalion)を整備。周囲の監視、作業班の監督を任務とした。

この市民兵第22守備隊には、ヴィッカース機関銃とブレンガン(ともにイギリス・イギリス連邦軍により使用されていた)

捕虜たちは
 日常は 農作業をし
、手厚い扱いを受けていたと 書かれています。
作業 [編集]トマトやブドウの栽培、薪の為の伐採といった、農業を行っていた。

レクリエーション [編集]警備は緩く、オーストラリア軍は負傷者・栄養失調者などを含む捕虜に、手厚い看護・介護を施した。日本人は文化的スポーツであった野球、相撲、麻雀などのリクリエーション活動が自由に許され、野球のバックネットを運動場に建てる写真が残されている[3]。

レクリエーション [編集]警備は緩く、オーストラリア軍は負傷者・栄養失調者などを含む捕虜に、手厚い看護・介護を施した。日本人は文化的スポーツであった野球、相撲、麻雀などのリクリエーション活動が自由に許され、野球のバックネットを運動場に建てる写真が残されている[3]。

学校で学んだことは覚えていますが 内容 ジュネーブ条約は何のことか覚えておらず・・・
当時の日本軍・日本人社会の ”生きて虜囚の辱めを受けず(戦陣訓)” という考え方で 日本兵は脱走したのだ。

状態 [編集]収容所では、"傷病者の状態改善に関する赤十字条約(ジュネーブ条約)" を日本人にも適用(当時、日本政府はジュネーブ条約を批准していない)していたが、日本人捕虜はジュネーヴ条約の条文を理解しておらず[4]、当時の日本軍・日本人社会の ”生きて虜囚の辱めを受けず(戦陣訓)” という考え方と、欧米(同じ枢軸国であったイタリアを含む)やオーストラリアの”国を代表して全力で戦った、名誉ある捕虜” という認識の相違により、オーストラリア人と日本人捕虜の間ではコミュニケーションはあまりとられなかった(戦陣訓などからなる日本軍人に固有の意識や、外交・国際関係の知識の不足による誤解が背景にある)。

例えば、アフリカからのイタリア人捕虜が頻繁に家族に手紙を書いていたのに対し、日本海軍規範に述べられているように、日本軍・日本人社会は捕虜を不名誉としていたため、捕虜になった日本兵の内7、8割は偽名を用いて登録していた[3](本名が本国日本に照会されて、自分の家族などが非国民の扱いを受け、村八分的差別にあう可能性を避けるため。実際、捕虜第一号となった酒巻和男少尉の家は、非国民扱いされていた)。したがって、本国にいる自分の家族に手紙を書くことは行わなかった。
 (手厚いほどの待遇を受けながら) 捕虜の人数がオーバーしたために 他の収容所に 移送されると知った日本兵は 脱走を決行したのです。
契機 [編集]1944年8月第1週、カウラの収容人数が大幅に定員オーバーしたために、将校・下士官を除く兵士を、400km西に位置するヘー(Hay, ニューサウスウェールズ州)の捕虜収容所に移すことを計画。8月4日、ジュネーヴ条約の規定に基づいて移送の前日に、日本人捕虜に通達された。blockquote>
ここで脱走事件は起きたのです。

続きは
カウラでの「慰霊祭の様子」 私の写真で UPしたいと思います。続くー
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by pc5takahashi | 2012-10-21 11:05 | Comments(2)
2012年 10月 15日

オーストラリアへ ①.カウラの戦没者慰霊祭に参加するために

成田から -
カンタス航空にて20時30分シドニーに向けー 
9時間半のフライトです。現地時間7時5分シドニー着(日本は6時5分)。日本との時差は1時間

戦没者慰霊祭(23日)の前日 日本庭園の「桜祭り」に参加しました。
ここには桜が沢山植えてありました。
オーストラリアの人や 現地にいる日本の人に感謝ですね!
すごく大きな庭園が それはそれは手入れが行き届いていました。
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ここがカウラ(地名)の日本センターです。16時過ぎに入りました。センターの中を 進むとすぐに そこには立派な日本庭園が十分に管理されていて 驚きました。!

センターの中では 食事もできますし 小規模ですがお土産店もありました。(夜はここで食事をしました)この後ろ部分に 立派な 日本庭園があり 桜が咲いていました。
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センターの中に飾ってありました。私たちは時間の関係もあり ここでのイベントを最後まで見聞きすることはありませんでした。
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以下は近くにあった 収容所跡です
収容所跡の看板
       
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平和指定地区
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今は建物は壊されてありませんでした。 
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日本庭園の桜の木の下で
 顔が認識されないように 人物のみに 「ノイズ付加」の 加工をしてあります。
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メモ
追加:ブルーマウンテンー世界アさんブルーマウンテンの奇岩の事⁻シーニックワールド
ギネスに乗っている世界一の急こう配のトロッコ列車に乗車
シドニー市内から約一時間の世界遺産
ブルーマウンテンのスリーシスターズ標高1000m級の山々が連なる。ダイナミックな青い山並みと奇岩が織りなす絶景を楽しめる。

シドニーサーキュラーキーエリア
シドニーークイーンビクトリアビルデング
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by pc5takahashi | 2012-10-15 14:59 | Comments(0)
2012年 10月 10日

wordで チラシ作り

今日はY先生から音楽会用のちらしを教わりました。
ありがとうございました。
イラストは違ったものを入れました。
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by pc5takahashi | 2012-10-10 18:19 | Comments(2)
2012年 02月 02日

word/ペイントで加工

フリーの 「鶯」の写真 お借りしました。

うおみのとりみのブログ素材より


窓越しに 鶯をー
wordとペイントを使い自作しました。

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毎日 雪・雪
025.gif我が家も 大屋根(2階) : この寒さで雪が凍りつき カールしています。 
1日に何度も 雪の始末に外に出ます。

056.gif良い運動になりますよ。
でも もう 雪は いらない!025.gif
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by pc5takahashi | 2012-02-02 21:55 | Comments(26)
2012年 01月 30日

「家計簿」

Tさんありがとう
丁寧におしえていただき感謝です。
情けないですが まだまだ完全理解とはいきませんが・・・。

Nさん とても助かりました。
アイディアをお借りして
     手水鉢の椿?を 飾っておきました。

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by pc5takahashi | 2012-01-30 16:42 | Comments(4)