2013年 12月 26日

新庄城跡の発掘調査現地説明会

2013年 12月 7日午前中  (記載が遅くなりました)

発掘は 群馬県の「毛野考古学研究所が行っております。

 富山市の教育委員会埋蔵文化財センターの管轄です。
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072.gif平安時代には集落があり、このころから新庄地区に人々が暮らしていたことがわかりました。
063.gif室町時代には館があり、当時有力者が居住していたと推測されます。この館は、応仁の乱《1467年》頃に城に作り変えられました。城はそののちも改変を繰り返し、その後埋められてさらに大きな城が造成されました。これが戦国史記録にあらわれる「新庄城」と考えられます。
新庄城は、1520年(永正17)年から 1583(天正11)年まで戦国史の記録の中でたびたび現われ、その後廃城となる。江戸時代には、跡地に加賀藩によって御陣屋が作られました。

 新庄小が建つ場所は、古くから「お屋敷山」とよばれた小高い丘でしたが校舎の建築や拡張の際に平らに削り取られてしまったようです。そのため、新庄城の曲輪(くるわ)などの大部分は削られてなくなってしまい、わずかに堀などの痕跡だけが残ったと考えられる。

 今回の調査では 記録に表れる新庄城の痕跡は堀の一部が残っていただけでした。
しかし築城以前の歴史が明らかになりました。
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土中から掘り出された 多くのものが休憩小屋?に展示されていました。
写真は 60数枚撮り 整理が大変でした。
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by pc5takahashi | 2013-12-26 18:11 | 日記 | Comments(4)
Commented by pcsasekiguti at 2013-12-27 22:11
古い町名は歴史を語っているのですよね
当市でも以前 由緒ある町名を捨てて味気ない町名に改名してしまい 今になって古い町名の復活を模索している始末です
いかに行政は場当たり的に物事を進められているのか憂いますね
特に道や街道は建物が建つ事がないから 歴史の地形が残り易い
処ですから大切に保存する様 心掛けないといけないと思いますね
自動車社会ですからこれも難しいでしょうが~~~ 

※ どうして富山県ではなく 群馬県の「毛野考古学研究所が発掘調査をしているのですか?
Commented by pc5takahashi at 2013-12-29 19:59
pcsasekiguti さま
そうなんですか。
由緒のある名をそう簡単に 改名してほしくないですね!
毛野(けの)考古学研究所は関東にあり 専門機関ですので富山市が頼んだものと考えます。
 当日 12月末までで発掘はカタが付くという話しでしたが、あと見に行っていません。
 来年もよろしくお願いします。ありがとうございました。













Commented by pc5matsuda at 2013-12-30 11:28
takahashi様、何時も色々と教えて頂きありがとうございます!
今年も後2日、来年も又宜しくご指導くださいませね!
元気で又会いましょう!
Commented by pc5takahashi at 2013-12-30 13:46
pc5matsuda 様
いつもありがとうございます。
1月の講習 楽しみに待っています。よろしくお願いします。


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