2009年 09月 15日

W.W.T.の H21年度第2回交流・学習会

 2009年9月12日(土) CIC3階で T市民国際交流協会 相談員 S川・セレナ・サナエさんという 日系3世の方を招き講演会があった。
  DVDと講演による「移民の歴史を学び 国際理解」を 
     「日本ブラジル移民100周年記念!」
 
1時にスタート 私は 遅れて 2時に会場に着いた。前半は終わり お茶タイム。
会員が焼いてきて下さった お菓子や
 Sさんがつくってきて下さった 「パッションフルーツのムース」もいただきながら歓談。

 DVDでは10人の 男女 80代後半の 今のブラジルでの生活が編集されていた。
その人たちは 家族でブラジルへ渡った方や 8歳、9歳で単身渡った人もあったようである。
「4年たったら 日本へ帰るんだ」
「10年経ったら戻って来い」と 母親との辛い別れ。10年たっても願いはかなわず・・・。

「愚痴は言うまい」と頑張ってこられたみなさん。
当時はたった一つの娯楽の映画を観に行くお金もなかったそうだ。

 エンディングを 観ていると
    「子どもたちの百年」
    JICA横浜という文字も 目に入りました。  (ここで編集されたのでしょうか)

http://www.jfg.to/green/news/essay_burajiru100syunen.html
以下は上記の ページに 載っていました。

現在、ブラジルの日系人は150万人以上と推定されています。その歴史は19世紀後半に遡ります。その頃の日本は明治維新による政策の結果社会体制が大きく変化し、貧困と失業に苦しんでいました。そのため「海外で働いてお金を貯め日本へ戻る」と夢を抱く移民希望者が増加しました。一方ブラジルは奴隷制度を廃止した直後で、コーヒー農園における人手不足が深刻化していました。そこで海外からの移民という新しい労働力に目をつけました。

  1895年ブラジルと日本の間に日伯修好通商航海条約が調印され、 1907年には皇国植民会社とサンパウロ州農務局が日本人移民の導入契約に調印しました。ブラジルのコーヒー農園には金のなる木がある。そう信じた781人の日本人農民を乗せて「笠戸丸」は1908年4月28日に神戸港を出航し、長旅の末6月18日ブラジル・サントス港に到着しました。移民を認められたのは、夫婦と子供や兄弟を含む働き手の3人以上いる家族でした。中には条件をクリアするために形式上の夫婦になる人もいたそうです。
  到着後、移民した人々はサンパウロ州の6箇所のコーヒー農園に送られ生活を始めました。しかし現実は厳しいものでした。慣れない土地にあって日本とまったく異なる言語や習慣での苦しい生活の中、過酷な労働、低い賃金、病気などで多くの人が命を落としました。それでも日本からの移民は労苦を乗り越えて団結し、コロニア(植民地)を作りました。コロニアでは組合や大人たちが先生になり子供たちに日本語を教える日本人学校ができて、移民の人たちは自分たちの生活を安定させることに徐々に成功していきました。
  ところが1930年代、当時の大統領は言語や思想を制限する政策を取りました。外国語雑誌発行の禁止、外国語学校の閉鎖などで、コロニアの人々のブラジルへの同化を強制しました。そして第2次世界大戦勃発でブラジルは日本との国交を断絶。敵国人となった日本からの移民は土地や財産を没収されるなど生活にいろいろな規制を強いられました。終戦直後には日本の負けを受け入れた「負け組」と勝利を信じて疑わない「勝ち組」に分かれた移民同士の悲しい対立もありました。 1951年に国交が回復しても、日本の悲惨な現状を知った多くの移民たちはブラジル永住を決意しました。

  1980年代の日本は高度成長期に突入。国内産業の発展が急速に進むと労働者の需要が高まり、外国人労働者の受け入れを開始しました。 1990年には入国管理法が改正され、日系ブラジル人が来日し職に就くことが可能になりました。逆にブラジルでは経済低迷が長引き、「デカセギ」として日本に逆戻りするようになった日系人が急増しました。現在は約30万人の日系ブラジル人が日本で生活をしています。


ブラジルでは たくさんのトロピカルな果物があるのでしょうが メモしていたのは 以下のフルーツです
画像はすべて internetで 入手いたし 掲載させてもらいました。


 カシューナッは

「下の部分を われわれは食べているんだ」と 彼女に教わりました。
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Wikipediaで調べる
概要 [編集]
カシューナットノキの果柄が肥大し、5-8cmの果実のようになったものをカシューアップルと呼び、その先に灰褐色の殻に覆われたカシューナッツがある。ナッツの殻を割り、その内部の勾玉型の仁の部分を一般にカシューナッツと呼び、食用とする。

Caju カジュー (カシューナッの実の部分)
日本でもよく知られているカシューナッツの果実部分。この果実はブラジルの北東部で生産されています。色はオレンジで、その下にナッツがなります。果実部分はジュース(ジュースは黄色)やコンポートに利用。かなり独特な風味があります。私はブラジルに来た当初は苦手だったのですが、今では大好きになりました(^^)。
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http://plaza.rakuten.co.jp/buraburabrazil/diary/200611210000/
果実ジャブチカバは上記の 楽天ブログ
葡萄に似ている。一週間で消えるフルーツ」。とても糖度が高いので日持ちしないとの事でした。現地の人はジュースとして。
 
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果実 ジャトバ
科 名 : ジャケツイバラ科 Caesalpiniaceae
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(マメ科 Fabaceae)
属 名 : ヒメナエア属 Hymenaea Linn. (17)
ドミニカ名: Algarrobo, sica en caja
ハイチ名: gomme animée
ブラジル名: Jatobá
英 名 : West-Indian-locust
原産地 : キューバ、ジャマイカからトリニダード・トバコまでの西インド地域と、フランス領ギアナ。
メキシコ南部からペルー、ボリビア、ブラジル北部
用 途 : 樹皮・葉・樹脂には、抗菌、抗真菌、抗ウィルス、抗バクテリア作用、強壮その他の効用があり、これまでの伝統的な医薬利用だけでなく、今後もその利用が研究されると思われる。
堅くて美しい材は、昔は歯車の歯の部分に使われた。
現在でも工具の柄、フローリング、家具、ろくろ細工などに使われているが、堅すぎて加工が難しいのが難点のようだ。

果実 ジャッカ
http://amazon-gunma.hp.infoseek.co.jp/j-amzon-fruit17.htm
「アマゾンの群馬の森通信」より

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 Vol.17 ジャッカ
 和名: パラミツ
 英名: Jack Fruit

 概説
 
 インドの西ガッツ山脈が原産とされ、アメリカ大陸へは17世紀中頃ポルトガル人によってブラジルへ導入されたと考えられています。大きな樹では、樹高30m直径1,5mにもなります。その果実は通常長さ30~60cm、重さ10kg~20kgにも達します。太い幹や枝から大きな果実がニョキとぶる下がっている光景は初めて見たときはびっくりしました。種子周辺の黄色い、パイナップルに似た芳香を持った果肉を食します。ブラジルでは特にJaca manteiga(バターの事)と呼ばれる品種が甘くて喜ばれています。べたべたとした汁液は鳥もちとして、根や葉は薬用として使用します。


果実 ドリアン
http://www.orchids.co.jp/Durian/index.htm
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果実 アボガド(ブラジルのは大きいそうだ)
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by pc5takahashi | 2009-09-15 22:36 | 日記 | Comments(4)
Commented by pc1sachiko at 2009-09-18 10:31
ヤット コメントに辿りつきましたワト~
資料は 如何にして 書かれるのですか?教えて欲しいです(@_@;)
Commented by pc5takahashi at 2009-09-18 20:01
sachikoさん
yahooの検索枠に 知りたい項目を入力して ページが開いたら
情報の必要の部分だけ コピーし 自分のページに貼り付けています。
Commented by pcturukame at 2009-09-19 14:17
いつもながらの 研究熱心で感心しています。
ボランテアから 画像加工 写真加工 並大抵では
出来ない事を スラスラされて 羨ましい限りです。
これからも楽しませてくださいませ。
Commented by pc5takahashi at 2009-09-20 11:26
turukameさん
自分たちの会が こんな活動をやっているんだという歴史を残す一端として 書けるときは文書で残そうと。忙しくて書けない時もあります。


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